優しさなんかない

"Books and You" 2nd Edition

さよなら、スケットダンス

はじめに(2012.9.20 追記)

これは、書いてから1年以上経って急に脚光を浴びたという妙な記事ですので、まずはその部分をご勘案ください。
次に、以下は『スケットダンス』という漫画の批判記事になっています。
スケットダンス』が大好きという方で、なおかつ、自分の好きなものを批判されてもある程度の冷静さを保てる人はお読みください。
そうでない方は、あまりおすすめしません。それでも読んだとして、仮に頭に血がのぼったとしても、「くそ」とか「死ね」などという不毛なコメントはお控えください。今記事に対するまっとうな批判コメントであれば、なるべく誠意をもって回答します。

また、蛇足ではありますが、記事の一番最後に、私の現在(2012.9)の『スケットダンス』への気持ちをあらわした記事へのURL を貼っておきます。ご興味があれば。
(追記おわり)


連載漫画っていうのは、人気を維持するためにさまざまなことが試されるのだろうが、だいたいからしてそういう「テコ入れ」などをし始めている段階で、ネタ切れだったり、人気の凋落があからさまだったりする。
今週の「ジャンプ」で最もひどかったのは、『スケットダンス』だろう*1
漫画の中でも言及されていたが、初の下ネタもの。作者としては「ひとつの挑戦」ぐらいに考えているのだろうが、ずっと応援してきた(といってもサーヤが出てくる前くらいまで)私としては、「スケダンついに終了」という宣言のように映った。

「楽園」を追われた登場人物たち

いい漫画だったのでネガティブな批評をすることは避けてきたが、『スケットダンス』(以下スケダン)は結構前から低迷を始めている。
先に少し触れたが、サーヤが登場することで、主要人物たちの関係に恋愛という要素が介入し、そのことによって、作中に流れる時間の経過が意味のあるものになってしまった。つまり、恋愛要素がなければ、サザエさんのように半永久的に「日常生活」を繰り返していけるというのに、それ(恋愛要素)を持ち込んだために、「日常生活」が「変化」を必要とし、自然とキャラクターたちが成長する(=年齢を重ねる)はめになってしまったのだ。
もちろん、現実世界と同じように、物語の登場人物たちにも自然な時間経過を与えるというストーリーテリングのやり方もあろう。ちょっと思いつくだけで『ハチミツとクローバー』とか『ふたつのスピカ』などがあり(どちらも名作!)、それはそれですごくいい作品になる。
しかし、ジャンプ漫画に必要なのは、「時間の経過をうまく織り込んだ見事な構成」などではなく、「人気」を背景とした「長期連載」、それに尽きるのではないか。
それだからこそ、私は『スケダン』に、恋愛要素をストーリーに持ち込まないでほしい、ということを強く願っていた。連載が少しでもつづいてほしかったからね。
わりあいに早い段階で、ヒメコはボッスンに対して、淡い「恋」とも名づけえぬ感情を抱いていることが描かれていたが、それはあえてそのままにして触れないことが、『スケダン』という漫画を延命させることになると考えていた。
だが、サーヤという「きっかけ」に基づいて、作者は無理に歯車を動かし始めてしまい、おかげで、ぎこちない恋愛ストーリーがそのときからつづいている。
ときに安形(サーヤの兄)やロマン(ほんとに登場回数が激減した)などが登場して「時間稼ぎ」(=ストーリーの重要な進行をせずに回を重ねること)をするのだが、読者もバカではないので、「おい、それよりもヒメコとボッスンはどうなったんだよ?」とか「スイッチとモモカは?」などと思いながら読むようになってしまっているだろう。
こうなると、逆にプレッシャーを感じてしまって、ぎこちなさに拍車がかかり、言い方は悪いが、陳腐なストーリーに堕して終了、となってしまうことをずっと心配してきた*2

『スケダン』の区切りのつけ方

おそらく作者は、恋愛の要素を取り入れつつも最終的にギャグで済ます(=恋愛を成立させない)という着地点を模索しながら描いているのであろうとは思うが、しかし、簡単には問屋(読者)が卸すまい。
でね、ちょっと考えてほしいのだが、以下のいづれだったら『スケダン』のひとつの区切りとして納得できるだろうか?

  1. ボッスンとヒメコが相思相愛ということが確認でき、ふたりがつきあいだす
  2. 恋愛を「なかったこと」としてしまう

まず、1は最終回しか通用しないパターンだろうけど(別にふたりがつきあいながらスケット団をつづけたって問題はないけど、読む側のテンションの低さといったら!)、恋愛漫画でもないのに、「恋愛が成就して終了」って、これまでの『スケダン』のありようを全否定しているようで、作者が選ばないだろうと思う。
2は2で、無理がある。今までの仕込みはなんだったのか、と読者が怒るはめになる。それに、「なかったこと」にするにはちょっと重要な回を重ねすぎている(修学旅行の回とか)。
結局、上記のどちらかに決定することはせず「保留」に「保留」を重ねていく、というのがこれからの『スケダン』になると思うのだが、しかし、読み切りから応援している古参の読者としては、「もう恋愛なんてどうでもいいんだよ!」という気分が強くて、はっきりいえばこの「恋愛ネタ」は、ネタ切れと物語の求心力強化というふたつの問題を同時に解決するために作者と編集者が持ち出した窮余の一策という気がしてならない。

きみは変わってしまったんだね、それともぼくが変わらないのかな

まあ、恋愛についてはそれくらいでいいのだが、問題は下ネタである。
結局私が『銀魂』を読まないのは、少年誌においてきわどいネタをやるという姿勢が好きになれないからで、いつも言っていることだが、下ネタをやりたいのなら、あるいは過剰に暴力的なシーンを描きたいのであれば、どうぞ青年誌でやってくれと思う。
青年誌では、いうなればフィルタリングのリミットがオフになっているわけだから、どんな内容でも勝負できるということになる。つまり、どんな表現をしようと面白ければ勝ちということだ。バーリトゥード
反対に、少年誌では一定の基準を遵守するというのがルールになっている。それを少しづつ壊すというのがある種の漫画家たちのちょっとした愉しみになっているのか、あるいは表現の改革とでも思っているのか、いづれにせよただの自己満足でしかないのだが、ともかくもそこに挑戦する漫画家はこれまでにも幾人か出てきた。格闘技でたとえるなら、防具つき寸止め空手で寸止めしない、みたいなものか。
昔の『ハンター×ハンター』が嫌いだったのは、「ほら、『ジャンプ』なんだけど、ここまで描いちゃうんだよ」という冨樫のあざとさが感じられたからだが、結局そんな「小さな枠の破壊」などは、次の次元に行ってしまえば、「ふーん、それで?」と言われてはいおしまい、という程度のものなのだ*3
つまり、少年誌でやる下ネタなんて、程度が限られているし、それをあえてやる価値なんて爪の先ほどもないのになぜやるのか、ということなのだが、答えは簡単、低年齢の読者が喜ぶというただそれだけの理由から。
他の漫画に較べてアニメ化がずいぶん遅れたが、それでもその放送がちょっとでも長くつづくようにと、ちょこちょこと目先の人気取りをしているというのがまあ妥当なところではないだろうか。
作品のクオリティとか、登場人物に対する思い入れとか、作者はそういうものを強く意識しているであろうと思っていたのだが、それらはすべてこちらが勝手に期待していただけであって、結局、期待が過度だった反動でずいぶんとがっかりするはめになった。
ひとつだけ、この作者に言いたいのは、「『リリエンタール』の葦原大介や、『月・水・金はスイミング』の福島鉄平、あるいは『黄色い本』の高野文子、『鈴木先生』の武富健治なら同じことを描いただろうか?」ということだ。
もしかしたら篠原(『スケダン』の作者)は、「彼らはジャンプの作家ではないし、ジャンプに連載させたことがあっても長つづきしなかったじゃないか」と反論するかもしれないが、それならば「ジャンプで連載を長くつづけることにどれほどの価値がある?」と問い返したい。『こち亀』がいい例だ。
まあ、『スケダン』のコミックはもう買わないだろう。私にとっては他の凡百の漫画と変わらないただの一漫画になってしまったのだ。
さよなら、スケットダンス

2012年9月現在の『スケットダンス』についての感想(2012.9.20追記)

*1:もちろん、低レベルという意味では他にももっとひどい漫画はあるが、しかしここまで落ちた漫画は他にないだろう。

*2:そういえば、『名探偵コナン』の「黒の組織」の話も似たようなところがあって、ああいう設定さえなければ(けれども、『コナン』の中では非常に重要な設定なのだが)『コナン』も穏当に回を重ねていけるのだが、あまりにも「黒服の男たち」たちを無視してしまうと、「もしかしたら作者なにも考えてねーんじゃねーの?」と批判されるのがいやなので、しぶしぶそれらしい話を作っておざなりの満足感を読者に与える、というやり方を、少なくとも十年くらい前はやっていた。今ちょっと調べたら、『コナン』はまだ連載中で、もう十七年にもなるらしい。ある意味、サザエさん化しているな。「工藤新一、34歳、探偵さ」

*3:余談だが、28巻がついに出た。ネテロとメルエムの戦いは、冨樫自身のこれまでの全精力が込められている感じがあって、さすがの私も圧倒された。いやはや、ここに来て一皮むけましたか、冨樫先生。